2019年もどうぞよろしく

時計

2016年にこの世を去ったLeonard Cohenさんのこの世のラストアルバムである“You Want It Darker”を聴きながら,1月末日ブログを書く. 今からCohenさんのニューアルバムが愉しみで仕方ない. 上にある写真は私がはじめて自分で現像をした黒白フィルムからの一枚. 題名は“時計”だ. この世に時計が生まれてから,その利用範囲は日常生活にまで浸透した. 元をたどれば鉄道の駅間で時間を同期させるために利用されていた時計. そんな代物が今やわたしたちの生活のいたるところを蝕んでいる.

仕事の効率化に目をつけたアメリカの企業は戦後,8時間労働を導入. それは瞬く間に世界へと広まった. わたしたちは何時いかなる時も,円盤の上の2本か3本(あるいは10本)の針を気にし,それに追われるように行動している. ゴムのように伸び縮みする時間に定規を当ててみようという試みこそが時計の出で立ちである. 一言で言えば,バカげた試みである.

もちろん時計が生み出すものは害だけではない. こうして新年という区切りをみんなで分かち合うことも出来るし,誕生日を祝い合うことも出来る. 何よりコンピューターは時刻同期なしには通信もまともに出来ない. 恩恵もあるが,私がここで言いたいことは,そろそろ人間は時間から解放されても良いのではないかということだ. コンピューターが時間を気にしていれば,それで問題は無い.

時計職人の職を奪いたいわけでは決してない. ただ,日常生活で時計に追われる必要はまったくないということだ. 自分の身体が良いと言うまで横になっても良いじゃないか. 電車をただただ待っても良いじゃないか. 待ち時間をぼーっと過ごしてみる. 次の電車はいつ来るのかな.

写真の時計はゼンマイが解けて動いていない. 正確な時間を示さない時計. それでもこれは時計だった. ゼンマイを巻く. あの心地よい音. そして息を吹き返したこの時計が静かに,しかし堂々と鳴らすコチコチという音. 長い針が一周して頭を通り過ぎた瞬間に鳴るベルの音. 生の,そう,ライブな音が良い. 静かな美しい本を積み上げて出来た廃墟に響く,年老いたホコリっぽい,あの味わい深い音. わたしは専らティーパーソンだが,このときばかりは珈琲がうまいと心から思えた(でもこの廃墟を後にした瞬間,動悸に見舞われたが).

一枚の,たった一枚の写真に籠もった思い. 写真を見るという行為は思い出の蓋を開けること. 想像力を解き放つこと. こんな黒とちょっとの白のまるで滲んだような,変な模様にも見えなくもないこの写真をみるたび,わたしはこの日のことを思い出す. 思い出を開ける鍵. それが写真. だから写真を撮る. 鍵をつくる. 鍵をつくって,とっておく. そして劣化して粉になるまで放って置く. この世のものは滅びるから美しい. 滅びるものが美しく見えるように出来ている. それがこの宇宙で人間が理解している唯一の真理.

これからも私はいろんなことをしようと思う. 例えば,日頃の言葉遣いに気をつけたり(誤解されないように一言,丁寧な言葉遣いを心がけたいワケではなく,これは自分が良いと思った言葉を良いと思ったタイミングで使えた時,それに気づけるようにしたいというささやかな願いである),自分の思考を言葉や態度や音楽にして表現できるように練習したり(これは一生かけて良いと思える課題である),時間を忘れる訓練をしてみたり(でも太陽と地球が織りなす華麗なダンスの一周を祝うくらいは良いと思ってる,現にこれがそうであるように).

ともあれ,私がこの記事で何を書こうとしていたのか. わたしもよく分からない. 飲めば飲むほどに喉が乾く魔法の水のように,知識には知れば知るほど自分が無知であると気付かされる. でも分からなくて良いのかもしれない. 分かってしまったら一瞬にして理解出来た世界が崩れ,一瞬にして新たにヘンテコな世界が生まれ,再びワケが分からなくなってしまうかもしれないから. それでも人間欲求というものがあって,知りたいと思う好奇心がそれにあたるが,気になるとずっと気になってしまうわけで,わたしはこれからなぜこんな記事を書いたのか,納得行くまで考えてみようと思う.

時間をつくるのは自分. 世界をつくるのも自分.

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